第2回 台湾地震の前兆現象調査報告(1999年11月14日〜11月20日)
             岡山理科大学地震予知プロジェクト研究会(会長 山村泰道)
       台湾921集集大地震前兆異常現象調査団(団長 弘原海 清)

11月14日(日)
午前:山村・弘原海・原口・杉田が岡山から新幹線・JR特急で関西空港に。
   関西空港から日本アジア航空で台北の中正国際空港。
午後:空港でボランティアの今井氏と合流、理大台北出張所の松岡氏案内で
  台中行きの高速バス、台中市コダックホテルにチェックイン。
  翌日スケジュールのミーティング。

11月15日(月)
午前:南開工商専科学校の出迎の車で陳先生(東京大学出身)がホテルに。
  台湾921集集大地震の激震地、南投縣草屯の学校(鉄筋大型3校舎倒壊)
  到着。南開工商専科学校(日本の高専、学生数6,500人)の余理事長・
  顧副理事長・陳秘書・頼校長・許教務主任に挨拶、調査趣旨を説明、
  山村部長より備前焼の花器を贈呈。余理事長の采配ですべての調査計画が
  全校に手配された。陳先生の通訳で3クラス(約150人)で地震前兆
  異常現象の面接調査とアンケート調査を実施。全員、昼食の招待を受ける。
午後:被災した生徒約50人(3名死亡)を集めて面接とアンケート調査を
  行う。引き続き陳先生通訳で2クラス(約100人)にアンケート調査。
夕方:ホテルへ帰る。途中活断層露出地を見学撮影。翌日の行動計画を練る。

11月16日(火)
午前:山村先生帰国のため台中市でお別れ。台北市在住の日本人実業家の
   片山氏がボランティアで参加。前日に続き南開工商専科学校の出迎ワゴン
   で学校に到着。陳先生の通訳で4クラス(約200人)のアンケート調査。
午後:同じく陳先生の通訳で、6クラス約300人にアンケート調査を実施。
夕方:ホテルに到着後、ボランティアの今井氏の紹介で台中市の東海大学勤務の
   工藤先生・劉さんと夕食。片山氏とお別れ。ホテルで翌日のミーティング。

11月17日(水)
午前:陳先生が3日連続出迎ワゴンで我々をホテルから学校まで運搬。前日
   同様に陳先生の通訳で3クラス(約150人)のアンケート調査実施。
午後:同じく陳先生の通訳で5クラス(約250人)のアンケート調査を実施。
夕方:ホテルに帰ってミーティング。アンケート用紙から学生の出身地は台中県
   と南投県に渡って広く分布する。但し、年齢的な幅が20歳前後と限定
   されるため南開工商専科学校での調査活動はこれまでの約1200人で
   打ち止めにする。18日以降は顧副理事長の手配で震源地付近の激震
   被災地で壮年層・老人層を対象に面接調査を行うこととした。
11月18日(木)
午前:南開工商専科学校の好意で1日中マイクロバスが提供され、通訳に
   同校講師の洪先生(東京教育大出身)が同行。最大被災地の南投県
   中寮陳の惨状を見て心を打たれた。被災者の生活防衛の忙しい状況
   をみて調査を中止。隣接の集集鎮(震源地)の林陳長さんと老人会
   役員を訪問。町は被災家屋が取り払われ、一見きれいに見えるが
   歯抜け状態から被害状況が推定される。老人会の皆さん(6名)は
   日本語が達者で、直接に前兆証言を収集。
    証言内容は、2週間前サルの大群が山から降りてきて、地震直前に
   木の枝に鈴なりで木を揺すり異様な泣き声で叫んでいるとき地震がき
   た。地震直後の3時間で再度山に消えた。町を飛び回っていたツバメ
   が2週間前から1っぴきもいなくなった。国家公園の管理者は新高山
   の熊や鹿に異常が見られたと報告。林鎮長さんの池に飼われていた
   高価な錦鯉が3日前に池の壁に頭を打ち付けてすべて死んだ。また
   普段よく釣れた釣堀の魚が前日全く釣れなかった。地震直前1週間前、
   台湾名「バルク」日本名は「ゲジゲジ」が無数に現れ這い回った。
   また毎日管理している町水源池が3週間前より白濁し直前3日に透明
   になって地震がきた。1週間後の余震M6.5の前、また1ヶ月後の
   嘉義地震M6.8の前にも水の白濁が認められた。そこで毎日管理観察
   される林鎮長さんの案内で集集大山の山麓の水源地と浄水場を見学。
   帰りに釣り堀で一般市民からサルの異常を具体的に聞いた。昼食会は
   結婚式パーティーに臨時参列しご馳走にあずかった。
午後:南開工商専科学校の好意でアポイントされた南投市の李市長に面談する。
   南投市は活断層が東縁を走る被災地中心である。南投市は県庁所在地で
   市役所には多くの被災者が各種手続きに訪れ、市役所の隣接広場には
   被災者テントが林立している。まず李市長さんに岡山理科大の調査団の
   目的を話す。市の通訳と洪先生の通訳の2人が対応する。李市長さん
   の体験された地震前兆現象を証言を聞く。集集鎮で聞いた証言の他に、
   地鳴や鳴動が聞かれ発光が観察された。李市長に肉体的なトラブル
   (足がつる)が直前に起こり、地震後に消えた、など証言が得られた。
    また、地震被害調査には多くの研究者が来られるが、地震前兆は始め
   てだが大変有意義なので全面的に協力するとの約束を得る。約500枚の
   アンケート用紙を手渡し、市側で市民10万人を対象に調査していただ
   くことになった。
夕方:ホテルで翌日のミーティング。

11月19日(金)
午前−午後3時:再度、南開工商専科学校の陳先生がホテルまでマイクロバス
   で迎え、1日中の通訳を果たされた。18日は昼間授業、19日は夜間授
   業とのこと。感謝。最終日は南投縣甫里鎮から国姓鎮の山岳地の地滑り
   被害地で調査する。地元有力者の顧副理事長の好意で現地警察所と連絡
   を取り、甫里警察の蔡副局長がパトカーに我々を乗せて山地崩壊現場の
   観察に出かけた。想像を絶する崩壊で現在でも20名が生け埋め状態で
   救出不可能とのこと。団長は地質学専門家として、地滑りの原因が明瞭
   な地層面滑りであり、椰子林に走る沢山の亀裂は次の雨期には再度巨大
   崩壊の危険性を持ち、山地崩壊で出来た湖水は雨期に決壊し土石流発生
   の危険性があることを甫里警察の蔡副局長に報告した。
    谷入り口で入山制限の検問をしていた村長さんに面会し、村内での地
   震前の異常現象について質問した。地震前に舗装した山道があちらこち
   で焼き餅のように膨らんで異常だったとのこと。しかし沢山の村人が集
   まり色々証言してくれるが、被害の大きさに殆ど記憶が消えているよう
   である。パトカーでないと現地に入れなかったことがよく分かる。
午後−夕方:南港村の人達から、前兆証言の話を聞く。10月に訪問した中原
   里村の被災者のおじいさんを再度訪問した。半壊した家の前にナイロン
   テントを張って自炊しておられる。そこで地震前後の話を詳細に聞く。
   このおじいさんは日本小学校出身で片言の日本語が出る。愛犬「くろ」
   の地震前の異常行動の説明には迫力がある。「地震前夜、くろは普通の
   鳴き声ではなく、オオカミのような遠吠えを繰り返し止められなかった。
   台湾ではオオカミ声は不吉とされ大変気にしていた。地震直前には繋い
   でいた鎖を引きちぎり逃亡した。その直後の地震で玄関が倒壊したが
   くろは助かった。自分は倒壊した柱の間から這い出して助かった。家の
   前の道を見ると断層で大きな落差が生じており、避難するバイクや自動
   車が危険なので、とっさに、一晩中パンツのままで交通整理をしたよ」。
夕方:南開工商専科学校でお礼の挨拶をする。心を込めた握手を繰り返す。
   ホテルに帰って経過の反省と今後の作業計画を話し合い、帰国準備に
   入る。

11月20日(土)
午前:台中から飛行機で台北に向かう。岡山理科大学台北出張所の松岡先生に
   調査の報告とお礼の挨拶をする。松岡さんの案内で2時間程度、出張所
   付近の台北を見学した後、中正国際空港にワゴンタクシーで走る。
午後:中正国際空港から日本アジア航空で関西空港へ向かう。1時間50分の
   フライトで日本に到着。我々と全調査行程を共にしたボランティアの
   今井氏は臨月を迎えた奥様の元に返られた。弘原海・原口・杉田の3人
   は岡山まで新幹線で帰る。

 追伸:学生を対象とした面接とアンケート調査結果は現在分析中。調査中の
   写真.VTRの記録も整理中である。第3回の現地調査は少人数で1月中
   2週間程度で計画中。多分最終調査になろう。調査結果は理科大と台湾
   協力機関と合同で出版することになろう。   (文責:弘原海 清)

戻る